留学体験記 02

留学体験記

●2年間のバンコク留学をふりかえって。 2012年12月15日バンコク・スワンナブーム国際空港、一人のタイ人が私を待っていました。彼の名は、Nudang Chusak、バンコク Rajavithi病院心臓血管外科のヤングスタッフです。やや照れながら軽く微笑んでいる彼は、私にとても親切で、これからのバンコク留学で一番お世話になるスタッフでした。 ほとんどの心臓血管外科医の若手がそうであるように、私も入局した当初から留学は憧れでした。新浪先生からお話をいただいたときは2012年の夏で、行先はタイ・バンコク Rajavithi病院。留学というと欧米を想像しがちですが、タイでの臨床留学に試験が必要なかったことと、コミュニケーションも英語でよいという好条件でしたので、二つ返事でお願いしました。 タイの首都バンコクの人口は首都圏とし14,565,520人と東南アジア屈指の世界都市です。国際色も豊かで、日本より英語に依存しており(医学はほとんど英語輸入品で、薬品名はもちろん医学用語も英語です。)、日本人も5万人以上在住しています。またタイでの心臓血管外科事情ですが、まずタイの胸部外科医は200人程度しかいません。しかも肺外科、食道外科も含まれており、純粋な心臓血管外科医はそれ以下です。症例は大病院に集中しており開心術100例以上の病院は私立、公立あわせて30施設程度です。 その中の一つであるRajavithi病院は開心術の年間症例数500~600例で、私の留学時のスタッフは7人、レジデントは常に3人以上いました。Rajavithi病院ではそれぞれのスタッフに、週のうち1~2日手術室が与えられており、ヤングスタッフもほぼ独立しています。心臓血管外科のdirectorは小児心臓外科のDr. Pirapatという先生でしたが、前任のDr. Peenutchaneeが新浪先生の友人で成人心臓外科担当ということで、直接の責任者であり、直接指導してくれました。半年経つ頃には前述のDr. Chusak、Dr. Peenutchaneeに加えてあと2人のシニアの先生が私に術者をさせてくれるようになりました。 もちろん最初から手術をさせてくれたわけではありません。1か月ほどのお試し期間中、前立ちをしばらく続け、内胸動脈採集やカニュレーションを続けた結果でしたが、いざ術者になった時も、最初は今まで新浪先生の前立ちで見て覚えてきたことをそのまま見よう見まねで試行しました。いままでさんざん叱られながら覚えてきたことだったので、忘れることもなかったし、いざ自分で手術をしてみるととても合理的な手技だったのだと思いました。術後の管理は、日本と違って看護師とレジデントの仕事でした。当初日本式にICUに居座ると看護師たちに、気になるから部屋で休んでくれ、と何度も言われるようになったので、少しお任せすることにしました。 私自身の手術数は週1~4例で、1年で100例程度でした。ほかの海外留学されている方がどれくらい手術されているかはわかりませんが、私にとっては十分な症例数でした。内訳はOPCABが4割、on pump CABGが3割、valveが3割弱です。この国ではrheumatic heart diseaseが大変多いのですが、valveはほかのヤングスタッフに人気で、coronaryは人気がないので、必然的にCABGが多くなりました。OPCABも比較的自由にさせてもらえました。器具もre-useですがOctopusやStarfishを使わせてくれます。Valveでは日本では少なくなったMVR、DVRが多く、今の日本ではなかなかつめない経験を積むことができます。またDavid operationやMVPの第一助手も多く、年に2回ぐらいですが心移植もあります。タイのsurgeonは若いころから独立しているので技術的には想像以上に優れていましたし、指導医も厳しかったし、一緒にトレーニングしているフェローやレジデントも優秀でした。手術に関して言えば、私ぐらいの日本の心臓血管外科医にとっては大変に恵まれた環境だと思います。 私は病院のレジデントルームに住んでいました。あまりリラックスできませんが、家賃もいらないし、緊急時には便利でした。またスタッフやレジデントがいろんなところに食事に連れて行ってくれましたし、日本人の店もたくさんあります。基本的にタイ人は日本好きですし、慣れてくると生活の面で困ることはあまりないと思います。 当然大変なこともありました。第一にタイ人はよく言えばおおらかであり、悪く言えばいい加減です。手術室でも器具がなくなり、次回の手術時に気付いて、術式を変えなければいけない時も少なくありませんでした。またみんな時間にルーズなので、朝の集まりも悪く、手術も時間通りに始まることはまずありません。当然最初はかなり戸惑いましたが、1年たつ頃にはそれが普通になりたっている社会なので気にならなくなりました。第二にコミュニケーションです。タイの医学は前述のように英語の直輸入です。なので、医学用語、手術器具、orderまで英語で統一しろと言われましたが、自分の英語も不十分でしたし、みんなが英語をできるわけではないので、やはり英語でのコミュニケーションは限界がありました。それでもタイ語でもある程度のコミュニケーションをとることができるようになってくるとそのストレスもすこしずつ解消されてきました。 どこにいても多少の大変さや問題はあると思いますが、私はRajavithi病院での留学はその環境の大変さが貴重な経験でした。海外、しかも東南アジアでの日本では考えられないような環境で我慢し、積極的に頑張ってきたことが一番の収穫であったかもしれません。また私の留学中に大きなデモやクーデターがありましたので、病院としても大変な時期もあったと思います。それでも私の手術は継続して確保してくれましたので2年間で合計約200例術者を経験させてもらえたことは大変感謝しています。 この2年で学んだ技術と、我慢と積極的な気持ちと、感謝の気持ちを持って今後の心臓血管外科医として頑張っていこうと思います。また自分の後任の先生にもっとやりやすい環境になるようにできればいいと思っています。